行うことは難し | 一目均衡表日記

行うことは難し

 支那明朝の碩学王陽明は「知行一致論」を説きながらも、したがって、そのために、「知ることは易く、行うことは難い」ということを強調いたしております。

このごろのように衝動的行動時代におきましては、この言葉はとかく、反抗的に無視されやすいかも知れませんが、王氏はそれをもとくに戒めつつ、知ることの深さこそ、行うことへの情熱である。といわんとしているようであります。

従って、知ることは易いといいながらも、深く知ることは行うことのむつかしさと同じでありましょう。

 人生のこと、人間のこと、まことにすべて、その通りでありますが、しかし、そうしたことを良く知り抜いている教養深き人でありましても、こと相場に関する限り、かなり衝動的のようであります。

知ることはほどんどなきにもかかわらず、直下に行う。僅かに知ることによって勇敢に行う。イヤ、非常に不用意に行う。ということになり易いようであります。


 ここでは王氏の逆でありますが、むしろ「知ること緩にして、行うこと急なり」といえるかも知れません。しかし、それではまことに逆立ちをしています。

先ず知ること、深く知ること。それが行動の先決の一条件でなくてはなりません。

 もちろん、知ることは易い。といっても、それは行うことの難さに対してのことでありまして、知ることは決して容易ではありません。それに較べますれば、行うことは、とにかく容易ではありますが、行うことの易さから、逆に知ることの難きをおもいますれば、知ること、深く知ることは、ほとんど不可能である。とさえ思われるのであります。

 たしかに不可能に近い。のでありますがその不可能を、しかも不可能のままにして、明確に把握せんとしているのが、この一目均衡表と、その完結編であります。


 ある意味におきましては、現代は「知ることは易く、行うことは難し」という150年前からの教養に対する反動時代かも知れませんが、もちろんいかなる反動も飽迄一時的であります。


 相場と関係するものが、何故にかくも失敗し易いかは、行うことを易し。とするからに相違ありません。「易きをさけて難きにつく」それこそが人間生活におけるもっとも意義深きものではないか。と私はかねて思いつづけて来ました。

相場について、行わんとされるとき、先ずこのことを今一度ご反読下さるようお願いいたします。

先ず相場を相手にする前に、その相場を知ることです。知ることの深さは、「愛」へのヒト筋道。その相場、その株のことが良くわかってから買って下さい。




以上、一目均衡表完結編の一文であります。

今回改めて完結編を読み直しまして、改めて自分の実質を確認することとなりました。

来週の「原著読書会」では一目均衡表完結編の鐘化グラフの解説を行います。原著をお持ちの方は108ページから135ページまでをご自身で整理した上で出席ください。またグラフもお配りしますが、原著付属の鐘カグラフを持参して頂いた方が良いでしょう。