雑文 | 一目均衡表日記

雑文

 美術品の真贋を見極めるために現代では非常に科学的な方法が採られるようです。

私が子供のころ、鑑定士を育てる為には、幼い頃から本物しか触れさせぬ、見せぬ、という方法をとるらしいという話を聞きました。

これは決して美術品の世界に限った話ではありません。

一般社会における真贋は結局のところ歴史にさらされ残ることでしか証明できぬものが多いのであります。

人は危うい存在であるだけに歴史に埋もれる本物も数多くあるわけですが、残るものには本物が圧倒的に多いことはやはり事実でありましょう。


「人はなぜエセ科学に騙されるのか」(これもいいかげんにもとの題に戻したほうが良いと思いますが)を書いたカール・せーガンはその前書きで大学時代に受けた教育プログラムについて触れています。

「この教育プログラムでは、人間がこれまで営々と織り上げてきた知識という貴重な織物のことが語られ、その織物の重要な一部として科学が語られていた。向上心に燃える物理学者が、プラトンやアリストテレス、バッハ、シェイクスピア、ギボン、マリノフスキー、フロイトも知らないのは(ここに挙げたのはほんの一部だが)、とんでもないこととされていたのだ。」新潮文庫


 プラトンやアリストテレスを専門的に研究する学者は現代でも当然おられるし、やはりプラトンやアリストテレスについて知りたいという人も当然おられることでしょう。

さてここで「プラトン」について教えると言いながら「この人の本や研究書は読んでもわからないから無駄である」「私は読んだことがないけど私流のプラトンを語って見せる」などという阿呆がいたら皆さんはどのように感じられるでしょうか。


昨日お便りを頂きました。

一目と名の付く本、講習会などかたっぱしから触れるが結果に結びつかないこと

講師のほとんどは原著は難しいから買っても無駄だと言っていること

一目均衡表日記を読み始め原著に触れねばならないという思いが強くなってきたこと

等書かれていました。


私も幾人か均衡表を語りたがる人を知っておりますが、原著を普通に読み、グラフを自分で書いていて、あのレベルならば均衡表そのものと縁を切るべきと考えています。

山人よりも自分は均衡表の本質を語りうるという方がもしおられるならば一度お知らせ下さい。


また回り道ばかりしている一般者の方へ、回り道をしても目的に辿りつくならば決して苦労は無駄ではありません。私は原著での回り道は無駄にならぬと信じるものですが、それ以前に「原著から学んでみよう」という決断がご自身の売買の決断よりもあなたの枷になるとは到底思えないのであります。

要するに出発点が間違っているのでは、と思えるのですがどうでしょうか?