お知らせ
株価予報の原稿締め切りをすっかり忘れていましたので来週はブログは更新できそうにありません。
まあ仕事場が暑すぎて熱中症になりかねないということもありますが、暑いのも寒いのも苦手な私としては涼みながらグラフ整理等したいと思います。
さて勉強会もこまめにお知らせいたします。
8月25日午後7時から9時詳細はhttp://ameblo.jp/ichimokusanjin/entry-10015284803.html へ。
ご質問をお待ちします。
もっとも原著や私のコメントに対する御質問でなければお答えできないのでありまして、他の人のコメントに対する質問は私にはお答えし様がありません。
また均衡表の基本事項に対するご質問も、原著も読まず、均衡表日記を通して読みもせず、と言う方にはお答えしかねます。
ご了承ください。
ジャスダック
今週もジャスダックのコメントは省きました。
7月27日安値は4月19日を起点と見れば、34日の下落に対し、35日で二波動をつくり、かろうじて三波動と見なせるのでありますが、戻りの大きさを見れば底がたいとは言いがたく、7月19日からの基本数値、あるいは6月2日からの基本数値を使って、小さな放れを注視する以外、あまり重要とも思えません。
日経平均株価は来週の動き方でいくつか視点の定まる事もありますので、注目はしています。あまりいいとも思えませんが。
為替コメントも書かねば、思っている間に動いてきておりまして、先月コメントしたユーロ円相場は直観の整理しなおしを迫られそうであります。
寄り付きが引けより高ければ、更に上昇せねばおかしい、変動でありまして、ユーロ円相場は相場化していない変動にも見れるだけに動き方は急となる可能性があります。
書くのは難しいとだけコメントを。
今週もあまり締まらぬ一週間でありました。大いに反省したいところです。
古きよき時代
昨日は同年代のディーラー氏、元ディーラー氏と3人で飲みまして、お二人のお話を楽しく聞かせていただきました。
お二人は元々同じ会社で営業から入り、認められてディーラー職へという経歴でありまして、ある意味最も儲けるのが難しかった時期を経ておられます。
現在はどうか知りませんが、ネット証券の登場までは兜町の地場証券では昔ながらの気質が残っておりまして、自分達の存在意義は「お客を儲けさせてなんぼ」という意識が強かった事を記憶しています。
もっともその方法論がどうかは会社ではなく営業個人に負う所が多かったのでありますが、客を潰して平気な者は残っていないとの事でした。無茶も随分あったようでありまして、古きよき時代だった、との言葉が印象的であります。
さて10年後、20年後、古きよき時代だったと回顧できるのは、必ずしも華やかさだけではないだろうと思います。
瞬間ごと、切実に生きていたからこそ、という側面が多いでしょう。
私はと言えば、10年後も20年後もそういう余裕はなさそうであります。
「近代科学を超えて」村上陽一郎著
これは以前、トマスクーンをご紹介した時に触れたかと思いますが、改めてご紹介を。
大学時代には勉強もせずこのような本ばかり読んでいたものです。
科学の発展の原動力は、未知のものへの好奇心であったり、実際的な要求であったり、名誉欲であったり、種々多様だろう。だが、その最終的な目標が、ちょうど医学のそれが「患者のため」にあるように、「人類のために」というところにないのなら、人類の知的営みとしては、自己破産せざるを得ない。そして、科学はまさにそこに総合化の視点をもっているはずなのである。
具体的なプログラムとしては、「分析と総合」という「科学的」な思考法の前提を疑ってみる作業が必要であろう。それは「分析的である」ことを否定するのではなく、それ以外の自然現象への迫り方を「非科学的」として頭から峻拒してしまわない、という意味である。全体的な現象把握、現象を現象としてそのままとらえる、という方法を、どこかで探さなければならない。というよりその発想を、全ての「分析」の出発点にしなければならない。
「分析」は科学の一つの手段ではあっても目的ではないからである。(講談社学術文庫115ページ)
テクニカル分析が相場に対する科学的アプローチといえるかどうかは別として、アナリストを称するならばせめて上の認識は持つべきと考えます。
良くも悪くも「一目均衡表」はテクニカル分析の一手法ということにされておりますが、アナリスト諸氏で上の認識を探りながら相場に対処している人がどれほどおられるでしょうか。
優れた業績は伝播するのが自然であるのに、均衡表が伝わっていないのは何故か、というご質問を頂きました。
それに対する答えとしてお読みいただきたいと思います。
質問がだいぶたまっていますので、今週のメールマガジンでいくつかお答えしたいと思います。
為替は書けそうにありません。
気力がなえているときにはどうも結論のみ放言してしまう傾向が強いのでありまして、なるべく段階を説明しつつ書きたいのであります。
均衡表好転の定義
8月1日のコメントで「原著第一巻に素直に従えば、7月24日以降の均衡表好転(基準線と転換線の位置関係の変化)は一応の買い場といえます」とありますが、この一文に対し次のようなご質問を頂きました。
好転とは、「転換線が基準線の下から上へと突破すること」と定義されているようですが、今回のケースのような「下から上」への交錯でなくても(転換線は基準線を横切っている)、「好転」となるのでしょうか。
ご質問の意味を測りかねるのでありますが、誤解なきよう念をおせば、私の言う7月24日以降の均衡表好転は恐らくは今日、基準線と転換線が同値になるでしょうから、明日以降極端な急落がなければ今日の事を意味します。
従ってここでは一応原著通りに転換線が基準線を上抜いていく瞬間を均衡表好転と言っているのであります。
基準線と転換線の関係のみ言えば、7月3日に好転、7月21日に悪化、そして今日好転という事でありますが、結局のところ基準線と転換線の同値は過去9日間をモミアイと見なしても、26日間をモミアイと見なしても相場水準が同じである、という事なのでありまして、結局は26日間を一種のモミアイとして捉えた上でのその放れを意味するのであります。
騰落は一定ではありませんから、遅行スパンと実線との関係、基準線と転換線の関係、の両者で互いに補いつつ放れを見極めるのであります。
さて「一応の買い場」というコメントは、メールマガジン読者の方は当然、私がそう思っていない事は理解されているかと思いますが、今日の現れ方によって、上昇力が試されるという事にすぎません。先行スパン上限をいかなる形で上抜くかだけが、上げ相場を期待出来るか否かのポイントになる、と現時点では考えます。
まだまだか
ここ数日、第二巻「完結編」と第四巻「わが最上の型譜」を引っ張り出して読んでいます。
この何年間か、色々と工夫してきたつもりであっても、原著により簡単に説明があること、いつものことですが感心しています。
読み飛ばしてきたわけではありませんが、認識が足りぬのでしょう。
私は原著を読むにあたり、次の事を心がけました。
先ず、一目山人の判断の道筋を一文ずつ書き出し、経験や直観に左右されぬ判断だけを抜き出して、単純な論理を探し出す。
上げも下げも三波動構成で捉えるべき、という事などは原著にも当然書いてあることですが、このことを具体的に整理するにはなかなか勇気がいりました。原著には時間が最も重要とありまして、波動論が最重要とは書いておりませんので。
何れにせよ、何か豆知識を増やす事で一目山人と同じ判断に至る事が出来るとは思えませんでしたので、自分が相場において最も必要な判断は何かをぶれさせぬようにだけを心がけて、色々無駄な事も試しているのであります。
ようやく最近になりまして、相場の事少し整理できるようになりました。
改めて原著を読みまして、山人との乖離がないと自覚しうる点は満足ですが、何か手の平で遊ばされているようで、これは悔しいものです。
まだまだいたらぬもののようやく出発点には立てているようです。
雑文
相場コメントは大変神経を使います。
毎週書いている日経平均株価はともかく、たまにドル円以外の為替コメントを書くときには、それこそ以前たどった変遷をまた見直してから、整理しなければなりませんのできついのです。
先週のように、思いついたようにユーロ円のコメントをした時には、大体、今日のように放心状態が続くのでありますが、休むも相場、という訳にはいきません。
書くべき事も無いのですが、少しだけ。
日経平均株価日足均衡表の現在の動きにおいて、押しの限界を先行スパン下限と捉えていましたが、やはり基準線は割るべきではないでしょう。
原著第一巻に素直に従えば、7月24日以降の均衡表好転(基準線と転換線の位置関係の変化)は一応の買い場といえます。
5月8日から6月14日までの下落28日間に対し、6月14日から7月24日までの28日間で中間波動の形成、また7月25日で遅行スパンの好転によって一種の準備構成であります。
オーソドックスには準備構成後、上昇の為にはその押しが基準線を割るべきではないのであります。
今週は特に注目点もありません。
為替の変動は少し疲れたので今日は書きません。
昨日勉強会の告知をしまして、第4巻付録をテキストに、としたのですが、夜中に整理してみまして、講義にならなそうなので変更します。あの文章はそのままで完璧に近く、私の余計な解釈など入り込む余地はありません。
計算値の活用方法とその考え方について講義予定です。
雑文
このところ長男の「どうして?、なんで?」に困っています。
大変しつこいので、いらいらする時もありますが、可能性の芽をつんでしまうのも困るので、極力相手をしています。
大人になっても「どうして、何故」を失わねば良いのですが。
半信半疑、という言葉があります。いい大人が物事を決定するのに半信半疑ではいけないのでありまして、徹底的に疑った上で物事の処理の仕方を身につけるべきであります。
一目山人は「信は疑の彼岸なり」という金子大栄師の言葉を生涯大事にしておりました。
哲学者ヘーゲルも同様のことを述べています。
疑問の解決は自ら行うべきでありまして他のどの人も本来手伝ってはくれないものであります。
便利さを求める事と、易きにつく事は別ものであります。
また次男が病気になりました。「はしか」のようです。
2週間後に長男にうつるでしょう。
困ったもんだ。と思う今日この頃です。
勉強会のお知らせ
日時 8月25日 午後7時~9時
場所 貸会議室内海(水道橋駅側)
講師 細田哲生
会費 5000円
講義内容 今回は第4巻「わが最上の型譜」の付録をテキストとして講義したいと考えています。
大体40分程度を考えていますが、残りで平均株価の相場コメントを予定しています。お申し込みはメールにてお願いします。ichimokusanjin@jcom.home.ne.jp
フォーチュンレポート更新されています。http://www.fortune-capital.co.jp/index.php?pageId=539 御覧下さい。
日経平均株価は特に変更点もありません。グラフを書いていさえすれば得られる直観も多いのでありまして、初心者は特に一銘柄でも良いので、手書きのグラフを作成して下さい。
報道機関
先日、TBSの報道番組で番組とは関係のない政治家の写真が画面上に写り、問題になったとの事です。
以前、サブリミナル画像を入れて問題になったのもTBSだったような気がしますし、私の記憶が確かであれば、オウム真理教の報道番組の修行場面で、アランパーソンズプロジェクトの「I ROBOT」を流していたのもこのテレビ局だったと思います。
必然性のあること、つまり行うべき事を淡々とこなす以前に、このような細工をする人は、およそまともな事は出来ぬはずであります。なぜなら行うべき事はそれを行うべき瞬間があるからで、その瞬間を逃せば意義がなくなる事の方が、特に報道の場合は多いでありましょう。
馬鹿馬鹿しい話ですが、テレビ、新聞などの業界人は一種自分が特別な存在であると勘違いしている人が多いようであります。
ふと一目山人のことを思い出しました。
祖父はテレビドラマなどで新聞記者が自社の旗を立てた自動車で事件現場にどかどかと乗り込むシーンがあるといつも憤慨しておりました。
自分が新聞記者であっただけに、また都新聞が品位のある取材をする新聞社だっただけに、新聞記者の独善性が許せなかったのでありましょう。
もっともチンピラは何時の時代どこの世界にもいるものでありますが。